断捨離と美術モデル
唐突な組み合わせなのですが、美術モデルをすることって私の中では断捨離行為みたいなものではないかなぁ、と思いました
私は普通の(?)社会人経験もあるのですが、あの頃はアパレルショップのポイントカードをざくざく持っていて、嫌なことがあるとデパートの化粧品カウンターで爆買いをして、手に負えない仕事量に心で半ベソかきながら残業をして、会社の人間関係にモヤモヤして、飲み会に参加してはうまく話を合わせられなかったりヤケに空元気な自分に疲れ、カラオケのお誘いからどう逃げようか考えを巡らせていました
良いこともありましたけどね
美術モデルを始めたころ、仕事の後のご飯が美味しくてびっくりしました
肉体労働だから、疲れる→身体が水や栄養を欲する、というシンプルな欲求
子供の頃、夢中でプールを泳いだ後の状態に似ているなぁと思いました
身体ひとつでどこへでも行って、バッと集中してポーズをする濃密な3時間
先生の声、生徒さんとのお話は興味深くて楽しくて厭きません
心の持ち物、身体の持ち物、どちらもずいぶん身軽になったなぁ、と思いました
大変なこともありますけどね
究極なことに、作品も残りません
なんだかんだ言っても著作権は制作者にあります
「自分が描かれるってすごいね」と言われたことがありますが、肖像画を依頼して描いてもらっているわけではありません
私(モデル)を通して、制作者が自身の感じていること、技術、美意識…が描かれるのです
どこかのだれかのスケッチブックに描かれた私は、何十年後かに見返されるかもしれません
そのとき、モデルは誰々さんだったなぁと思い返すことはなく、描いていた自分のことを思い出すでしょう
そんなことをふと思った、掃除に明け暮れた1日でした